【ヌーソロジー】#0神の思考とは?私が求めていた真理への展望


神の思考 ヌーソロジー 意識

あなたは【 神の思考 】という言葉を耳にしたことがありますか?

私は自分軸を整え、宇宙意識に意識を向けるごとに、 ” 原初 ” なる意識を求め続けてきました。

過去を振り返り、歴史に名を遺した人の言葉を手当たり次第読み、精神世界の海に潜っても、神様は一向に姿を現してはくれません。

私は誰とも変わらない、平凡な人間ではありますが、真理について考えない日はなく、日々祈り続けてきました。

真に神様と繫がりたい、真の人生を歩みたい、先祖から継承してきた何かを叶えたい、と。

私が神聖な力を信じてから、どれほどの月日が経ったか、正確なところは分かりません。

しかしある時、私は ” ヌーソロジー ” という新しい概念の体系に出会いました。

今この瞬間に生きることで、人間の本質的な欲求は叶えられることは理解していますが、やはり宇宙の全貌を知りたいと思った私には、ヌーソロジーとの出会いは画期的でした。

真理を知りたければ、人間としての意識を超えなければならない、そう確信したのです。

それが【 神の思考 】という、創造主としての思考。

もしあなたが ” 神の思考 ” に興味が湧くなら、ヌーソロジーの扉を開くことをおススメします。

今回はまだ学び始めたばかりですが、私のヌーソロジーから受け取った意識の変容の始まりをお伝えできればと思います。

ヌーソロジーには古代世界にあった世界観を見出す希望が見える

ヌーソロジーという言葉自体は、造語なんだそうです。

ヌーソロジーは、半田 広宣(こうせん) という方が1989年に突如として始まった、冥王星の意識体とのチャネリングから得た情報を体系化したもの。

半田 氏 曰く、ヌーソロジーは古代ギリシャ哲学や、古代世界にあった世界観を現代に復活させるような位置づけがあると語られています。

ヌーソロジーの概要は、私自身が体験し、理解しているわけではないので、誤解が生じることを避けるためにもこれくらいに留めさせて頂きますね。

ただ私が半田 氏 並びにヌーソロジーに多大な興味が湧いたのは、半田 氏 が解説される「 神の思考 」に意識を向け、次元が重なっていることを見える力を得ていく、というものでした。

私は一時期神社に通い詰め、神社の神主さんから多くを教わった経験があります。

その際に度々耳にしたことは、「 神の視点に立って祈る 」ということでした。

人間は物理次元で生きている限り、物質主義や経済主義、利己主義になりやすいもの。

しかし生かされている存在としての意識が芽生えれば、神様が何を考えているかに思考を働かせることは可能です。

私は今この瞬間も、目には見えない大きな力のはたらきの中に在って、また自分の人生の和を廻っているような感覚があります。

私は随分長い間、自分自身のことも解らずに彷徨ってきました。
そのくせ私は真理を知りたがり、外へ意識を飛ばし、本当に内面を省みることはなかったのではないかと思います。

私が求めていた真理、言い換えれば意識は、私が目にする現実には無かった。

それもそのはず、私は絶えず与えられた世界の中に答えを求めていたのですから。

私は宇宙の一部、神様の分け御靈という側面はありますが、決して神様ではありません。

そこでヌーソロジーに出会い、私は再度神の視点に立ち、神の思考とはどのようなものなのかを知りたくて仕方がなくなったのです。

私はヌーソロジーが、今まで知り得なかった真理を、人間の意識や認識を超越させることで垣間見ることを可能にしてくれると、本能的に、また感覚的に氣がつきました。

概念を解体し、真の意識に変換していく、それがヌーソロジー

私はエヴァンゲリオンが大好きで、何度も悲惨でグロテスク、そして美しいストーリーと描写に魅了されました。

今でも愛されるアニメとあって、ストーリーや設定の深みや複雑さは、私には到底思いつかないほどです。

エヴァンゲリオンでよく出て来る言葉で ” シンクロ率 ” がありますね。

人間の魂と、神に似せて造った人造人間という器の親和性を、シンクロと私は捉えています。

主人公の碇 シンジ くんは、14歳ながらも過酷な運命を背負わされ、自我が崩壊してしまうほどの現実を幾度となく突き付けられますよね。

物語の終盤になり、「 ゲシュタルトの崩壊 」という言葉も出てきます。

この物語には、哲学、心理学、ユダヤ教やキリスト教、カバラ思想など世界を構成するいくつもの要素が盛り込まれ、終盤に向かうほど解釈や考察が難航せざるを得ません。

とてもじゃないけれど耐えられない現実を経験する時ほど、私たちはそれまで持っていた既成概念や固定概念を手放せるチャンスはありません。

これまで人間の文明や歴史を書けて、哲学や宗教は語り尽くされ、研究尽くされても尚、真理の定義や世界観の追求は叶えられていませんよね。

答えが出ない時に、” 神のみぞ知る ” というもっともらしい言葉で片付けてしまうのは、半ば強引であり、思考の放棄という側面があります。

もちろん知らないことや、知り得ないこともあるはずですが、私たち人類の失敗といえば、諦めてしまうこと、ただその1点だけ。

私はヌーソロジーに出会い、これまで自分が培ってきた経験による思考と意識の体系を解体しなければ、真理探究は必ず行き詰ると考えるに至りました。

なぜなら私が無い頭でいくら考えたところで、先人が生涯をかけて構築した理論や哲学に及ばないどころか、誰かの思考に自分の意識を当てはめてしまうことになるのが目に見えているからです。

 

” ゲシュタルトの崩壊 ” は一時的な危機感を与えますが、それと引き換えに、新たな知性を獲得する希望が得られます。

半田 氏 はその変容を、このような言葉で表れています。

【 人間型ゲシュタルト 】

いくら人間の知性で考えたところで、人間の意識の範囲内で創造したところで、創造主の思考や創造には手が届かない … 。

私は半田 氏 の言葉を理解しようとする時、とりあえず新しい言葉を知るように、言葉を書き起こしながら、自分自身にインストールするように受け取る作業を始めました。

人の存在とは本当に有難いものです。

私はチャネリングも靈視もできませんが、人の言葉に心を傾けることはできます。

半田 氏 はいつも言葉を論理的に、また感覚的にも合点がいくように遣われ、大変バランスが良い表現をされるように思えてなりません。

私は言葉に執着し続けてきましたから、表層的な表現や、ただ難解な言葉を並べ、一貫性の無い語りに耐え忍ぶ氣力が無いのです。

また私自身多くのことが重なって、自我や精神、思考、意識など私の全体性を構成するゲシュタルトが崩壊した時期がありました。

それはまるでこの世で独り、狂ってしまったかのような感覚で、果たしてこの先、この世で生きるためにはどのような私に再構築すべきか、人生に絶望した経験でした。

たとえどれくらい時間がかかっても、私は復活したい

私は書かずにはいられない、言葉を使わずにはいられないので、どんなに絶望していたとしても、常に氣づきや希望となる言葉を探してしまいます。

それは絶望に浸り、どんどん闇へ呑まれていった時も変わりませんでした。

私はそれまで率先して自分という色を薄くし、周りと合わせることに必死で、毎日エネルギー不足で干乾びた植物のようだったんです。

ですが言葉には力が宿り、真理を伝えようとする人の言葉には、引力のような力を放つような氣がしてなりません。

” 引く力 ” なのに、放つのです。

私がヌーソロジーに出会った時、私は闇に意識を当てていましたし、闇を掘り進めればいつか光に行き着くのではないかと考えていました。

時間が解決するだろう、努力は報われるだろう、と願いながら。

しかし実際は違います。

同じところを回り続けるのは、自覚が無い支配された者の行動で、意識状態です。

私は闇が光に反転する時を待ちましたが、私は光を拒絶し、更なる闇に潜ろうとする生き方の癖がありました。

誰も助けてはくれないし、自分も救ってやろうなんて思えない。
それなら降参するまで、私は不毛な努力を続けたのかもしれません。

しばらく自分の精神の海に潜り続け、疲れ果てました。

一向に何も見えない、浮かび上がっては来ないのですから。

そこでやっと私は方向を変える決心がつきました。

両手を上げて、降参したのです。

それでやっと私は自分を不幸にする思考を止め、自分の自我を解体し、補強作業に取り掛かります。

しかし資源や素材がこれまでと同じなら、また私は崩れてしまうことは明白でした。

ですから私は新たな、そして真理に沿った思考や意識を求めたのです。

 

すぐには行き着きませんでした。

いいえ、既に存在は知っていたものの、私は既に与えられていたことに氣づくためには、不要なものが沢山あり過ぎて、捨てることによって氣づくことができたのです。

それがいつか、何かのきっかけで知ったヌーソロジーでした。

絶望と希望は背中合わせなのかもしれませんが、本当の光は同じ次元には無いのかもしれません。

いくら後ろを振り返っても、裏面を正面から見ることはできませんし、自分自身を客観的に見ることはできませんよね。

私は時間をかけて、崩れていくこと、降参すること、捨てること、そして立ち上がるプロセスを踏んでいきました。

私の何度目かの人生の復活は、やっと理性的で、ニュートラルに歩もうとする姿勢に繫がることができたのだと思います。

これまでのあらゆる経験、知識、出会い、また私の解釈、感覚、思考。

すべての塵の存在を踏み越えての復活でした。

だから私は自分軸を整えるために、あらゆる法則を使おうと決めたのです。

それが私が私自身を幸せにしようと思い、このサイトを立ち上げ、心を込めて言葉を世に発信している理由でもあります。

ヌーソロジーを学びたい、今はただそれだけ

今の私はそれほど長く考察できるほど、まだ新しい概念を受け入れるだけのOSが整っていません。

徐々に新しい概念を、既成の知識や知恵を活用しながら、ヌーソロジーを学んでいきたいと思っています。

ただ私の人生の転機のブーストとなる、学びを吸収したい、今はただそれだけです。

今回はヌーソロジーとは何か、というよりも、私がヌーソロジーに感化・触発されて、どうしても言葉としてアウトプットしたいと思い、何の計画も無く書き綴った内容になりました。

ヌーソロジーに出会っただけの新参者ですので、ヌーソロジーや真の意識や神の思考に興味を持たれた場合に、私の感覚や感情が少しでもお手伝いができたら幸いです。

ヌーソロジーについてのアレコレ

最後になりますが、ヌーソロジーについての情報をまとめておきたいと思います。

⇩ こちらが半田 広宣 氏 のサイト、” Noos Academeia ” です。⇩

Noosology/ヌーソロジーについて|ヌースアカデメイア
ヌーソロジーについて

⇩ Youtube公式チャンネルも解説されていますので、是非覗いてみてください。⇩

NoosAcademeia
“未知なる子供たちを育てていくこと――これがヌースアカデメイアの作業目的である” ヌーソロジーに関する動画を公開しています。 ヌーソロジーは独自の空間概念をベースに理論構築されていて、いまでも日進月歩に探求されているものです。 哲学の言論や物理学の公理、はたまたスピリチュアルまで、さまざまな分野とコネクトしながら、ヌ...

Youtubeではレクチャーやインタビュー動画があり、興味をそそられること間違いなしです。

半田 氏 はとてもユーモアがあって、氣さくな方のようですね。

これからも私はヌーソロジーに触れて、感化されたこと、学んだこと、氣づかされたことを書かかせて頂きたいと思います。

まとまりのない内容の上に長くなりましたが、最後まで読んで頂きまして、本当に有難うございます。

長くなるのは毎回ですので、あなたが長い文章を読むのが好きな方であることを願うばかり。

それでは、ヌーソロジー#1でお会いしましょう!

コメント

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。
タイトルとURLをコピーしました