【不思議体験】#1憑依体験|神様はお酒がお好き?!


神懸かり 憑依 お酒

あなたは自分ではない意識状態になったことはありますか?

寝起きの寝ぼけた状態ではなく、実際に起きている時に、これは自分じゃない!?という意識状態の話です。

不思議体験シリーズ第1弾、初っ端から意味不明!な体験をシェアさせて頂くのですが、私がいわゆる ” 神的な存在に憑依された ” 時の話。

このサイトのテーマである ” 自分軸を整える ” からは少し逸れるのですが、今回から不思議体験シリーズとして、私が体験した不思議な出来事をシェアさせて頂きたいと思います。

「 生きていること自体が奇跡 」「 この世にある絶対は死だけ 」という私の摩訶不思議で、ありきたりな死生観を不思議な体験を通して感じて頂けたら幸いです。

不思議体験シリーズで語らせて頂く内容は連続しませんし、私の年代もバラバラですので、短編物語を読むように、気軽に楽しんで下さいね。

神的な存在を身近に感じた、ただそれだけのこと。

神的な存在を身近に感じるって、私はなかなかありませんでした。

しかし神的な存在を感じたからといって、魔法が使えるようになるわけでも、物理的作用に反した力を使えるようになるわけでもありません。

今回の話は「 こんなことあるの?! 」っていう一時的だったけれど、忘れられない濃い体験です。

体験をそのまま語り、次に私自身の解釈を添えさせて頂く形でお伝えします。

  • 似たような経験をしたことがある!
  • よく分からないけど、こういう話好き!
  • それはね、こういうことなのよ!etc

あなたの感想コメントを頂ければ嬉しいです!

* 私は絶対に正しい意見というものは存在せず、共感も嫌悪もあって然るべきだと考えますので、言い争いの無い楽しいシェアができると幸せです! *

飲めない石屋さんの代わりに、私が神様のためにお酒を飲んだ!

もしかしたら驚かれるかもしれませんが、私が生まれ育った家には神棚も仏壇もありませんでしたし、初詣に初めて行ったのは成人してから。

私は物心つく頃から「 自分って何者なんだろう 」「 なんで私は生きてるんだろう 」と考えながら生きてきました。
そんな神様からは縁遠かった私は、30歳を迎えた時に不思議な体験をすることになります。

そして目に見えない世界を知ってから、ますます生きていること事態が不思議で仕方がなく思えるようになり、現在では真理探究がライフワーク。

私の真理探究や見えない世界について、多くを教えてくれた人の中に石屋さんのお姉さんがいました。

1.私の石好き人生を加速させた石屋さんとの出会い

サイトを見てもらえば分かって頂けると思うのですが、私は大の石好きです。

縁が円を作るように、私が通い詰めるようになった神社に連れて行ってくれた友だちがいるのですが、彼女は私の石好き人生を加速させた石屋さんも紹介してくれました。

その石屋さんはご縁を大切にされるので、常連さんが多く通う石屋さん。
天然石だけでなく、バッチフラワーセラピーやお香など私が知らない、知っていても深くは知らなかった雑貨が沢山置いてあって、私には憩いの場だったんですね。

私は心身のバランスを何度も崩し、人間関係を絶つことが多かったのですが、何度も受け入れてくれる人が集まるお店で、とても心強い存在でした。

そうしてお店に通い続ける中で、私は石屋さんが特に親しくされている方々と仲良くさせて頂くようになりました。

年齢は私が1番若い、いえ幼いといった方がいいでしょうか、みなさん人生経験豊富な方々ばかり。
ある時常連さんで新年会があるので、招待して頂くことになりました。

2.新年会での神懸かり体験

石屋さんのお姉さんを中心に、常連さんと新年会にお呼ばれした時のことです。

お店に通う中で、お姉さんには神道に通じる人で、” 巫女的な能力・素質 ” があるということ話の流れで解っていたのですが、自分自身の感覚や意識で確かめる手段はありませんでした。

私自身も人の感情や場の空気に敏感ということは自覚していましたが、特別なことではないと思っていたので、正直なところ、お姉さんは頼りになる存在。

この新年会で、私は自分の身を持って彼女が普段感じている感覚を感じることになったのでした。

お姉さんは常に、というわけではありませんが、2柱の神様と繫がりがあるそうです。
有名な夫婦の神様なのですが、名前は伏せさせて頂きますね。

何でも男性神の方は大酒豪なのだとか。

しかし残念ながらお姉さんはお酒が飲めない体質で、新年会の席で「 神様を喜ばせてあげられないの~ 」と苦笑いをしていました。

新年会に集まった常連さんは、みなさんかなりお酒が強い方たちばかり。
私はというと、それほど自信はありませんが、飲めないことはありませんでしたが、日常的にお酒は飲みません。

それなのに私は何を思ったのか、「 じゃあ代わりに飲んであげようか? 」と口走りました。

私がそう言った途端、背後に ” 何か ” の存在を感じました。

お姉さん曰く「 あらあら喜んじゃってすり寄っていったよ! 」とのこと。

新年会の席ですからお酒を頂くつもりだったので、私は乗り気になり、日本酒を頂きました。

するとお酒を飲んだのに、全くアルコールの味がしないのです!

お姉さん曰く「 アルコールの味だけ持って行ってるからねぇ~ 」とのこと。

本当に旨い酒は限りなく水に近いと言いますが、当時の私はお酒の味がしないので、この感覚にはなりませんでした(笑)。

男性神の方は私と同化していたのか、ちょっとだけ重なったのかはお酒のせいでじっくり味わうことはできませんでしたが、普段感じることのない濃くて重い質量を身体に感じていました。

お姉さん曰く「 かなり喜んでるよ! 」と教えてくれたので、2、3杯と調子に乗って日本酒を飲み進める私。

本当に水を飲んでいる感覚でしたし、神様が喜んでくれるのが嬉しくて、私は調子に乗ってしまったんですね … 。

その後飲んだり食べたりすること約3時間ほど。

私は自分の調子の良さを後悔することになりました。

3.神様が去った後に残ったモノ

お酒が水のように感じられたのですが、新年会がお開きになる時間に近づくにつれ、酔いが回ってきました。

お酒の味を堪能した神様が私から離れたのです。

そうすると私の身体は神様の圧から解放されると同時に、元の身体に戻り、肉体があるという実感を取り戻すことになりました。

つまり、悪酔いです(笑)。

記憶が飛んでしまうような泥酔ではなく、一気飲みをして酔いが回ってしまった感覚ですね。

家族曰く、帰宅した時の私の顔は真っ青だったそうです … 。

まだ夕方17時頃だったのですが、私はリビングのソファーで沈むように眠ってしまいました。

1、2時間ほど寝たでしょうか、目が覚めたらすぐにトイレに駆け込み、せっかく頂いたものを戻すことに。

かといって私がこの日の新年会で体験したことを悔やんでいるかというと、全く逆なんです。

今まで体験したことのない神的な存在を意識の中で感じたからです。

神棚にお水やお米、お酒をお供えしますよね?
しかし実際に喜んで頂いていると感じることは滅多にないはず。

靈的な存在と繫がるための素質や器があることを思い知りつつ、1度でも私の身体を通して、お酒を召し上がって頂くことを体験できて、正直に嬉しかったんです。

二日酔いにならなかったのが幸いでした。
当時は早朝の仕事をしてましたから … 。

この話はその後お店で笑い話になり、私の中でも大切な思い出になりました。

もしあなたがお酒が進んでしまう時は、自分以外の存在と一緒に飲んでいる、なんてこともあるかもしれませんよ … ?

決しておどろおどろしい話ではなく、お食事を頂く時、神様やご先祖様と一緒に頂くという気持ちは大切だと思います。

実際私自身、先祖供養と家系供養をしつつ、日常生活であらゆる場面でご先祖様への感謝を感じられずにはいられない時があり、氣がついた時に行っています。

神的な存在でしたら余計に、感謝の心は行動で表したいものですね。

憑依について

私自身、靈的な存在を信じて疑いませんが、幽靈の存在については何ともいえません。

すべては波動であり、波動が集まることによって磁場ができ、その磁場に正負の感情が乗ることで、私たちに影響を与えると考えられます。

憑依がどのように感じられるかは、個人差があると思いますし、その定義も人それぞれでしょう。

私が今回の体験でお伝えしたのは、神懸かり的な憑依です。

動物靈や浮遊靈、地縛靈などの憑依については理解が及びません。

これからも学んでいきたいと思います!

神様の存在について

私は神様を信じていますが、古事記や神話に出てくる特定の神様がそのまま現代でも存在している確証は持っていません。

名前や定義は人間がつけるものですから、私は知っていることが自分にとっての真実とイコールにはならないのではないかと考えるからです。

結局のところ、死んでみないとわからないのですが、人は信じたいことを信じ、信じられないものを排除するという性質を持ちます。

神様の名前は称え名であることも多いですから、宇宙の視点で視ると、有っても無くてもいいと思うのです … 。

ただ私は日本の八百万の考え方がとても好きです。

すべての命があるものに波動があるように、すべてのものに感謝できるように、神様の存在を感じるという姿勢に美しさを感じます。

日本の神様には分靈という概念や、あらゆる仏教や宗教では化身という表現がされます。

ですからすべては繫がっている、それだけでいいのかなと思うのです。

今回の体験で私が感じた神様も、分靈ではないかと感じているのは私の中だけの解釈ですが、石屋のお姉さんも同意されています。

見えない世界は正解がありません。
しかし目に見える現実の世界も、同じですよね?

だからこそ私たちは未知の体験をして、成長・進化していくんですよね、きっと。

不思議な体験が当たり前になる時、日常が嬉しくなります!

今回シェアさせて頂いた経験は、何もひけらかしたかったからでも、自慢したかったからでも、狂言(笑)したかったからでもありません。

いつもの感覚から離れることで、日常生活に対する視点や意識が変わることをお伝えしたかったのです。
また私個人の体験ではありますが、神的存在は感じられる!ということも。

石屋さんのお姉さんや、石屋さんでの逸話、” 視える人たち ” の話はまだまだ沢山ありますので、閃いた時にシェアさせて頂きますね!

それでは長くなりましたが、最後まで読んで頂きまして有難うございます。
また次の不思議体験でお会いしましょう!

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