【プロフィール】一ノ瀬 ユイの人物像とサイト運営の目的【世界観】


profile

 

ご訪問ありがとうございます!
一ノ瀬 ユイです。

初めましての方は、初めまして。

当サイト「言靈のサンクチュアリ」に来てくださっている方は、
改めまして、こんにちは!

2019年の12月から「法則のセルフトート」という名前でサイト運営を続けて来ましたが、

「言靈のサンクチュアリ」という名前に変更しました。

これまでは自分が表現したいことを書き綴って来ましたが、

2020年に入ってからは、
”「志が繋がる」人との時間を大切にしたい ”という氣持ちが強くなりました。

私は当サイトを思考や感情の捌け口にするのではなく、
自己表現と人との繋がりが両立する場にしていきます。

そのためにご縁がある方とコミュニケーションが取りやすくなるように、
工夫と勉強をしていきますので、どうぞよろしくお願いいたします!

自己紹介の前に前置きが長くなりましたね。

それでは私のプロフィールを簡単に綴らせていただきます。
平凡なことからマニアックなことまで書きますので、
最後までお付き合いいただければ嬉しいです。

一ノ瀬 ユイとは。

私、一ノ瀬 ユイは、現在35歳 (2021年時点)。

蠍座太陽・牡牛座月の満月生まれです。

” 一ノ瀬 ユイ ”は本名ではありませんが、
丸っきりニックネームというわけでもありません。

”一ノ瀬”は絶家になることが決まっている母方の姓で、
” ユイ ” は名前からもじっています。

男なのに” ユイちゃん ”と呼ばれたりしたのは、
性格的に、人格的に中性的だからでしょうか。

文章を読むだけだと、どうしても女性に間違われてしまうことも多いです。

私の性格を一言で表すなら、

「 猫 」や「 カメレオン 」でしょうか(笑)。

場面場面によって性格や表情が違い、人によって持たれる印象が違います。

当たり前ではありますが、
このように文章上での印象と、対面した時、電話での時との印象も極端に変わります。

ですが私の性格の根っこにあるものと言えば、

「 人懐っこさ 」と「 人が好き」

そして「 寂しがりやの孤独屋さん 」なのだと思います。

私がこれから目指す自分像と世界観

このサイトを運営し始めた理由は、以下の3つです。

 

①インターネットでの発信のハードルを下げること

②自己分析や自己表現をする場所を設けること

③占星術や真理探究を通して、感性や感覚が合う人と繋がりを持つこと

 

私はインドアな人間ではありますが、

気分屋なところがあるため、

こういった場所があることで、「自由」と「責任」を持てているように思います。

2021年から公式LINEを始めまして、

マドモアゼル愛さんの「月の欠損」や西洋占星術についての対話をさせていただいています。

1.1986年京都府舞鶴に生まれる

能天氣だけれど神経過敏、靈媒体質であることを幼い頃から自覚していました。

・セミの殻やダンゴムシを集める

・山に入っては戻ってこない(笑)

・初対面の人の懐に潜り込むのが得意

・物をよく壊すも、自覚が無い(笑)

・セーラームーンが大好き(笑)

・不思議ちゃんでフラフラとどこにでも行く

・でも1人は嫌で、母が留守の時はギャン泣きする

・お兄ちゃんが大好きでストーカーをする(笑)

・腸が弱く、お泊り保育で下痢をして、お泊りがトラウマになる

・出張動物園で蛇を首に巻いてもらい歓喜する

・縄跳びを自分に撒く変な子 ( 画像を参照、(笑)

2.小学校低学年で富山に引っ越しをする

陰氣な雰囲氣が漂っていた生まれ故郷(笑)を離れ、母方の実家に引っ越しをし、

環境の変化とショックで、能天氣さを封印し、氣配り上手さんになりました。

 

ベートーベンの「エリーゼのために」をきっかけにピアノを始めるも、

練習が大嫌いで、即興演奏や好きな曲しか弾かないというわがままな子でした(笑)

 

また字を書くことが好きだったため、習字にも通う。

 

そして手芸クラブに入り、手話点字とともにビーズに熱を入れました。

創作と社会福祉に興味が出始めた時期でもあります。

 

3.中学校の時に英語が好きになり、YMCAに通い、留学を志す

同級生よりも、学校に赴任するALT (外国人教諭) の先生とつるんでいました(笑)

YMCAに通い、英語を話すことがとても楽しくなりました。

私が英語に愛着を持ったのは、もしかしたら小学校の転校で、

コミュニケーション不全が原因かもしれません。

 

部活は迷いに迷い、女子部員しかいない吹奏楽部に入学。
小学校の頃から、女性の周りに身を置く方が楽でした。

 

この時期に軽い不眠症を体験。

幼稚園時の時からの謎の強迫観念の症状がピークに達し、
誰にも言えない、理解されない心理状態をなんとか耐え忍びました。

 

4.高校生時代は、英語の勉強だけに力を入れて勉強する

小学校・中学校・高校が家から同じ距離にあったため、

また小学生の頃から内氣で、人間関係を構築することが苦手だったため、

行動範囲が小学生並み(笑)で、世間知らずで、人見知りな思春期を送りました。

 

好き嫌いがはっきりしている性格で、

好きなものには集中力を発揮し、嫌いなものはできる限り避けつつ、

やらないといけないことはさっさと済ませ、1人の時間を確保するようになる。

 

2週間のオーストラリアでのホームステイで、外国の地に初めて足を踏み入れる。

アセンダント射手座としての象意は海外留学だったのかもしれません。

 

5.大学生時代に沢山の経験と人との出会いを体験する

推薦入学にて、秋の11月には大学受験を済ませ、

”ボッチ”高校生を満喫し(笑)、早く新天地で人生を変えたいと考えていました。

しかし、幼い頃からの神経過敏や不眠症、対人関係へのプレッシャー、

また新しい環境での1人暮らし、特進クラスでの授業など、

変化に対する耐性が無いことで、躁鬱状態が始まる。

そんな頃「直傳靈氣」に出会い、真理探究の道が開く。

幼い頃から抱えていた、

自分の中にある ” よく分からないもの ” を解消したい一心で、

また ” 人のためにできる何かを身に付けたい ”、という氣持ちから、

靈氣に出会った年に講座を受講する。

・インド人でオーストラリア国籍の女の子と親友になる、

・セクシュアルマイノリティを公言している人と友だちになる、

・アカペラサークルに正規メンバーではなく、遊び人として(笑)参加する、

・ディベートクラブに参加して、討論を学ぶ、

・外国人留学生と夜中まで遊ぶ、など沢山の交流がありました。

当時住んでいた地域では有名なステーキレストランにバイトで入り、

縦社会・男性社会・飲食業界の洗礼を受け、3月もせずに辞める(笑)。

ゴールデンウィークに実家に帰るという世間知らずを発揮し、白い目で見られました(笑)。

留学準備の授業を通して、沢山の友だちができ、大学生活を謳歌。

初めて心のシャッターを幾らか下ろせたような氣がします。

とは言うものの、人の相談役になることが多く、

その後も自分のことは後回しにする癖が発揮される。

スウェーデンに10か月間留学をする。

夏の終わりのスウェーデンの景色は大変美しく、

月がとても大きく、そして近く見られる星空に感動しました。

 

ところが10月以降 ” 白夜 ” が始まり、

抑えていた躁鬱状態がぶり返し、せっかくの留学生活に陰りが出る。

 

授業のスピードが速すぎて、課題の量が多かったため、
部屋に籠って勉強をする毎日。

暗さと寒さ、そして何より私には絶望感がありました。

 

【場所や景色を変えたとしても、人生は自動的には変わらない】

 

私は幼い頃から与えられるがまま、

周りの反応を極度に氣にしていたので、

自発的に、能動的に、自分の意志で生きることが未発達だったんです。

 

私は愚かにも、留学した先に、

人生を変える自分になるためのキッカケに出会えるものだと思っていました。

 

しかし、逆に ” 現実を直視しろ! ” という戒めとなったのでした。

6.社会人生活の荒波でもみくちゃになって七転八倒

留学を終え、疲弊した私を待っていたのは、就職活動でした。

 

私が日本を離れたかった1番の理由は、

日本に満ち満ちている ” 同調圧力 ” なる意識からの脱却、でした。

「 こうでなければならない 」という幻想に振り回され、

人生を目に見えない力にコントロールされてしまう、ということが、

私が生きている上で最も恐ろしく、また哀しいことだったんです。

 

運良く短期集中で、大学在学中に就職口を見つけ滑り込みましたが、

私の悪い癖である必殺技 ” その場しのぎ ” により、その後苦労することになるのでした。

・靈媒体質にも関わらず、葬儀会社に就職 ( その場しのぎその① )

案の定、心身のバランスを崩し、10か月間で退職しました ( 留学生活と同じ期間!(笑)。

特に神道の葬儀式では、私は頭痛でフラフラになり、

社内でも厄介な新入社員が入ったと言われていたようです( 苦笑 )。

*その後お世話になる宮司さん曰く、

儀式を行う場では、感情の祓いが行われる際に障ったのだろう、とのことです。

しかし場合によっては、儀式の場、神主の力量、その場に居る人の感情によって、

靈媒体質の人にとっては苦行になることもあるとも・・・。

 

靈感なるものが多感になり、1度だけ人のオーラがハッキリと見えた時でもあります。

またヒーリングスクールにも通い、スピリチュアル商法で少し火傷をしました(笑)。

 

居酒屋の調理師として働き ( その場しのぎその② )、

社会復帰するまでに回復し、

嫌々ながら、” 石の上にも三年 ” という呪いの成就を達成 (やけくそ(笑)

肋骨を折っても、熱が出ても、不眠症、拒食症でも1日15時間拘束を週6日続け、

休日は廃人、と、まさに ” 監獄 ” ” 牢獄 ” ” 刑務所 ” 生活でした。

宅建の勉強の末に不合格となり心を病む( その場しのぎその③ )。

フリーランスを志すも、調理師免許しか持たない、知識もメンターもいないということで、

縁あって不動産関係の方と知り合い、3か月という超短期間の勉強で受験をすることに。

蠍座の象意として、葬儀も不動産も当てはまります。
昔は「 星占いなんて~ 」と思っていましたが、
結構自分で蠍座の王道を走っていたのだと思うと、過去を振り返る度笑ってしまいます(笑)。

それまで体験した躁鬱状態とは、比べられないほどのひどい心身の状態になり、

寝たきり状態にまで発展。

常に部屋を暗くし、外界との接触は絶ち、修行僧のような環境で、
ただ時間が過ぎゆき、人生が終わるか、それとも風向きが変わるかを待っていました。

躁鬱の嵐が荒れ狂った冬を終え、春を迎え、

近所にできた新しい雑貨屋さんで、運命の出会いを果たす。

その後お世話になる神社を紹介され、神道の道を知り、

「 祈り の実践を始め、

私には家系・先祖の鎮魂なるものをする役目があることを知りました。

その後神社に通い、また宮司夫妻のお手伝いをしたり、
俗に言う ” スピリチュアル ” を素で行うようになり、

ますます ” 不思議ちゃんキャラ ” が浸透していきました(笑)。

祈りを始めて1週間でアルバイト先が見つかる ( その場しのぎその④ )

神社に通って一週間後、バイト先が見つかりました。

自分で動かなければ ( 自力 )、変化は起きませんが、

自分1人で何ができるでしょうか?

神道で言う「 おはたらき 」、

仏教で言うところの 「 他力 」ですが、

自分ができる精一杯をした上で、天の采配に委ねる、という経験をしました。

アルバイト先で楽しく働き、人生再生計画が狂う

働き始めてから3か月後に正社員、その後雇われ店長になってしまいました (涙)。

リーダーや管理職などしたくない性分のため、常にサポート役に徹していたので、

当時は緊張と不安、罪悪感、責任感でいっぱいで、忙しさでどんどん病んでいくのでした。

当時の体重は50kgを切り、風が吹けばよろめく状態で、居酒屋の時よりも酷い状態。

遂には過呼吸を起こし、出社拒否状態になり、そのまま退社しました。

ゴールデンウィークが始まる前に辞めたので、
大学生活から働き方は大して変わってないのだと、今では笑って振り返っています(笑)。

再度、暗黒の時代に突入

自己否定と無価値観、罪悪感、絶望感に打ちのめされる日々でした。

初めて入社した時の会社の時と同様に、人の感情が障ることで、

私は自分の精神が害され、自分自身を見失った、のではないかと思います。

 

この頃から ” 声が出なくなる ” という症状が出ました。

 

占星術によれば、牡牛座・月が精神の悪化を表すのは、第5チャクラだそうですね。

ちなみに蠍座太陽としては、泌尿器系も弱いです ( 泣笑 )

【 自分の意に反する生き方 】をしていることが顕在化したのでしょう。

自分を呪いつつも、どこかいつも「被害者意識」で引きこもっていた当時の私は、

家族に対しても ” 腫れモノ ” でした。

私は約半年間暗闇で過ごし、

いつ鳴るのか分からないアラームが鳴る時を待っていたのでした。

 

12月の真夜中に、超意外な理由で寝床から這い上がる

インターネットでたまたま目にしたモルダバイト という天然ガラスに興味を惹かれ、

” この石を手に入れずには死ねない! ”

という、とてもじゃないけれど、人には言えない理由で寝床から這い上がりました(笑)。

近場で働けそうなところを見つけた時と相まって、再び立ち上がるのでした。

 

・慣れ親しんでいる会社に入り、瞬く間に便利屋さんに

日頃からお世話になっている某運送会社さんに、突撃しました ( その場しのぎその⑥ )。

なんと前の職場に出入りしている人が沢山いる職場で、バイト初日では絶句されました(笑)。

徐々に労働時間を伸ばしてもらい、バイトリーダーになり、他の部署も兼任することに。

いきなりエンジンをフル稼働させなければよかったんですが、そうもいきませんでした。

再び働けること、徐々に生命力が戻っていくこと、人に求められることが嬉しくて、

私は再び仕事人間になりました。

それと同時に、時給で働く上でのずる賢く働くことに執着心を燃やすのでした。

モルダバイトは無事ゲットできましたよ (笑)。

究極の強制終了

私は運送会社で働く傍ら、

副業でクラウドワークス、知人のお店のお手伝いをしたりもして、常に忙しくしていました。

再度 ” 石の上にも三年 ” を達成するのか?!と思いきや、

その会社で働き始めて2年半が経った頃です。

 

仕事中のある時、天啓が降りたかのように、全身を稲妻が走る感覚を覚えました。

【 もうこんな生き方はしてはいけない 】

これが ” 魂の声 ” というものか、はたまた ” 心の声 ” というものなのかは分かりません。

今では、何度も倒れては起き上がるパターンを変えるための、強制終了だったと考えています。

ドラマみたいに、持っていたペンを床に落としましたからね(笑)。

心身のバランスを崩しながらも、半年後に円満退職する計画を実行し始めました。

稲妻が全身を駆け巡った次の日、

私は営業所長に「 私、会社辞めます! 」宣言をしたのです(笑)。

私は複数の部署に携わりながら、営業所の人すべての人と関わっていたのですが、

少しずつ、半年後に辞める旨を伝えながら仕事を続けるという困ったパート社員。

2度目の職場の時、実は1年半も経たずに辞めようと思っていましたが、

職場の人が倒れ、実際に退職したの3年後でした。

” 石にも三年 ” という呪いは、表現だけでなく、

どこか人を成長させるための縛り、戒めのような側面があるのではないかと思います。

かと言って、自分を殺してまで居続ける必要も理由もありません。

その時々によって判断は難しいですが、

感情的・衝動的な考え・思いが出て来る間は、まだ許容範囲で、

心底環境を変えたいとは思わっていない、という客観視で自分を判断することができます。

 

私はとにかく必要に駆られ、少なくとも働けそうなところで働き続けましたが、

もはや私の必殺技は使い倒してしまったため、もう使えなくなりました。

 

周りに自分の意思をハッキリと伝えてみて、どんな変化が起こるだろう?

そんな淡い期待と皮肉を持ちつつ、状況はちゃんと変化していく様子を見て、

私は自分の人生に責任を持たなければ、と強く思ったのでした。

 

何よりお世話になった神社で教わったんです。

 

【 人は家系や先祖から引き継いだ資質を認めつつ、癖やパターンを矯正しなければいけない 】

人はピンチになった時に、それまでの自分や周りを省みるものです。

それが当時の私でした。

世間知らずで、ただ守ってもらいたかった私にとって、

現実はとても非合理で、不都合で、怖い幻想の連続体・集合体でしかなかった。

だからこそ、私は自分自身の手で何かを創り、自分自身の足で立とうとしたかったのです。

円満退社を無事実現させ、有休消化が終わったのは、私の誕生日直前。

奇しくも、ここから私の本当の暗黒時代が始まることになるのでした。

超暗黒時代の到来

変な表現になりますが、

私は「 闇 」を痛いほどに体験しなければならなかったのかもしれません。

海外に出ようと、何を学ぼうと、誰と付き合おうと、

私が自分自身と向き合うことを拒否していたため、

八方塞がりの状況が作り出されました。

 

もちろん私自身によって、です。

幼い頃から、私はこの現実世界を生きる「 実感 」や「 手応え 」を感じられませんでした。

日常的な喜びや痛みはあるものの、

本質的な「 生きている私 」という実感と、

「 なぜ私は生きているのか 」という答えのない疑問が私を悩ませました。

超暗黒時代の間、私は生き直すために「 空虚 」を体験しました。

拒食かと思えば過食。

不眠かと思えば過眠。

神経過敏、感覚過敏、感情過敏、エネルギー過敏。

すべての情報をシャットアウトしなければ、自我が保てない状態でした。

季節も時間の経過も無視して、

私はどこか「 許される時 」を待つように、孤独と静寂の中に身を置き続けました。

約2年です。

それは私が完全に沈黙をしなければならなかった時間。

 

2年あったら、どれくらいのことが成し遂げられるでしょうか?

2年の間に、社会には、世界には、私が知っている人たちの人生には、

どれほどの変化があったのでしょう。

私の身体は絶えず生き続けているものの、

しかし心は廃れ、どんどん穴が広がっていくようでした。

家族には大変迷惑と心配をかけました。

幽霊のように動き、部屋の中でも物音1つ立てず、氣配を消して生きている私がいる。

だからと言って、どんな言葉を投げかけていいか分からない。

” あの子はどうなってしまうんだろう? ”

” あの子はいつまであんな風に生きなければならないのだろう? ”

両親はきっとそう思っていたはずです。

人はそれほど自分のことには興味が無い、見ていない、ということは分かっていましたが、

嫌でも意識してしまうのが家族です。

私は部屋の中で四六時中もだえ苦しんでいました。

楽しく人と会話をできていた自分。

興味のあることを自分のペースで探究していた自分。

増え続けていく人の輪の中で、少しずつ居場所を大切にしていた自分。

 

かつての私はもうどこにもいませんでした。

私はこれが躁鬱の症状だけ、とは思いません。

先祖の感情も受け継いでいることでしょう。

前世があるなら、やり残したことを昇華しているのかもしれません。

しかしこの2年の間、私には全く自分を救う手立てを見つけられませんでした。

大学生の頃には断食をしたり、自傷行為をしたり、少し危険なことも試したりしました。

自分を傷つけることにもエネルギーが要ります。

ご飯を食べるのも、トイレに行くのも、お風呂に入るのもやっとの思い。

 

私の身体には悪いけれど、

「 何もしない 」ということが増え、ただ天井を見つめることが多くなりました。

 

ですがある日、少し変わった感覚が内側から降って沸いて来る体験します。

 

言葉で説明すると、何だか嘘くさく感じられるのですが、

まるで自分の内側にある無限空間の扉が開き、

活力と言うのか、

生命エネルギーと呼べばいいのか分かりませんが、

そういった感覚的な流れが、寝転がっている私を突き動かしました。

上下や左右といった空間的な感覚ではなく、

情報がどこからともなく飛んで来るように、

私は自分自身の中にある「 奥 」から、

私に呼びかけているようでした。

 

それは精神世界やスピリチュアルで言われるような、

外側からの呼びかけではありませんでした。

表現するのが難しいのですが、

まさに、私が待っていた「 時 」が来たように、

私は自分自身を閉じ込める時間に終わりが来たような感覚になったのです。

それまでに私の中に否応なく、消化されることなく蓄積され、絡まった思考や感情、意識を、

私が「 諦めた 」からでしょうか。

仏教で言う「 身心脱落 」。

 

「 脱落身心 」までは至っていないとは思いますが、

私が幻想の世界を生きていて、自分の存在さえも自分ではないように感じ、

実体を探ろうとしていた約30年間。

 

幻想という幻想さえも考え、感じ、掴むことを諦めた時、

私は自分自身に、生き直すことを許したのかもしれません。

この感覚は瞬く間に消えてしまったものの、

夢のように淡い余韻がありました。

 

対外離脱をしたわけでも、

解脱体験をしたわけでもありません。

ただ私は生きてもいない、死んでもいない曖昧な境界線の間で、

まだ生きていく余地があるために、この感覚を覚えたのかもしれない、と考えています。

” 本来の自分 ” なんてどこにもなくていい。

私はこれまでの経験や学びから、

「自分が思い描く本当の自分」は存在しないのではないか、と考えています。

巷では「自分探しは時間のムダ」と言われるゆえんは、

エゴが生み出す現実逃避的な「本当」は存在しないからです。

エゴさえも包み込み、利己と利他が一緒になった「存在としての私」が、

「本当の私」と呼べるものかもしれません。

 

ですがどんなに屁理屈や綺麗事を並べても、

肉体を持って生きていることには変わりません。

「本当の私」は実体が無いという納得(諦め、降参)で、

肯定的に人生を歩んで行きたいと思います。

そのために、私は言葉を使い、自己表現と自己理解、自己肯定を続けていきます。

ご縁のある方との出会いに感謝いたします。

 

どうぞあなたの人生と日常に、

一ノ瀬ユイのささやかな言葉がありますように…。

占星術のコラムのお知らせ

ご縁あって、占いサイトのLani様にて、

西洋占星術の講座のコラムを執筆させていただいています。

ホロスコープリーディングに興味がある方、

また占星術をかじっていてはいるけど、深読みしたい方は、

よろしければ一ノ瀬ユイの「深楽しい西洋占星術講座」のコラムを読んでいただければ嬉しいです。

1つのコラムは超・長文ですので、

お時間がある時に読んでいただければ幸いです^^

 

⇩ 一ノ瀬 ユイ:西洋占星術講座 ⇩

一ノ瀬ユイ | Lani(旧GYPSEE)|電話占い・占い・スピリチュアルメディア
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