【月星座】マドモアゼル愛さんの欠損としての月の解釈#3【占星術】


占星術 月星座 自己実現

月が欠損を表す、というこれまでになかった解釈によって、私たちは占星術の基盤、または人生の指針をまた1つ得ることができましたね。

自らが太陽となって輝きたいのにも関わらず、私たちの本能は、母なる世界・意識へと引っ張られる傾向があります。

しかし自己実現において、理想と現実を擦り合わせるためには、子どもの依存的な生き方と決別しなければなりません。

占星術や占いを好む人の中で、どこか現実逃避や吉兆の判断として、月を見てしまう人が存在するでしょう。

かくいう私も過去そうでした。

マドモアゼル愛さんのブログより、月の理解に関する記事は、一旦3回目の今回で終わらせようと思います。

占星術は歴史が古く、また現代占星術やその他の占術もありますから、1つの解釈があらゆる占術に通用するとは限りません。

しかし人間として、無意識を司る月の引力に対しては、私たちは意識的に思考し、直観と結びつけた上で現実を見る必要があることは確かです。

それでは今回も、月の理解・解釈について、楽しんで学びを深めていきたいと思います。

【月星座】マドモアゼル愛さんの欠損としての月の解釈#2【占星術】
前回、マドモアゼル愛さんの解釈「 月は欠損を表す 」という氣づきを得て、占星術が映し出す自己実現についての考察をシェアさせて頂きました。 私たちの本能、習性、心理までもが、あたかもプログラムされたかのように働き、その事実に氣がつかない...

現実を支える、幻想としての月から、人生が始まる

私たちは生かされる存在であり、有限の資源により、毎日の営みを続けています。

どんなに科学技術が発展しようと、私たちには空氣や水が無ければ生命活動ができず、絶えず自然からの恩恵を受けて生きていることを忘れてはいけません。

そんな大自然の中で、私たちは文明を築いたわけですが、城の中に居ようと、自然の中、地球上、宇宙の中に生きていることは変わりませんよね。

私たちに意識や知性、情動(感情)が無ければ、このようなことをくどくどと考えたりしなくてもいいのですが、そうはいかず、私たちは絶えず知的好奇心によって突き動かされています。

その根本にさえ、月の幻想としての働きは、私たちが生まれた時から自我が確立されるまで、月光の如く降り注ぎ、内面に根付いていくんですね。

母性としての月と、幻想としての月、それは影や闇という光を支える1柱の両面性です。

しかし私たちは闇によって多くを学んだ後、光へと歩みださなければ進歩がありません。

マドモアゼル愛さんは、次のように述べられています。

月を理解することは、生きる上での潜在的な障害を取り除くことになります。また、月を理解することで日々の生活がかなり楽になる人も多いと思います。

(新月に寄せて)最終回 惑星の理解「月」 より 引用

私たちはノスタルジーに思いを馳せることがありますが、度が過ぎてしまうと、過去に縛られるということになります。

私たちは常に ” 今が最善 ” であり、また常に ” 今が全盛期 ” であることを自覚し、自らを輝かせなければ、自分も周りも幸せに導くことはできません。

それでは月の理解・解釈の締め括りとして、” ルナティック(狂気)の月 ” について考察したいと思います。

影を認めることでしか、光へと歩むことができない

心理学に限らず、失敗や短所、あらゆる反省や内省は、次なる一歩のための大いなる ” 橋渡し ” になります。

何から何へ、私たちは渡るのでしょうか?

それは失敗から成功へではなく、経験から成長・進化への飛躍です。

本来人生に失敗など存在しません。

あるとすれば、それは ” 解釈 ” だけ。

つまり月の意識、月の時代さえも、与えられるしかなかった自分が内面で解釈した世界であり、真の世界ではないということです。

私たちはいつの時も、目が覚めれば明るさに喜び、目を閉じて暗闇に落ち着くサイクルを繰り返して生きていますね。

ただ意識においては、目を閉じたまま、心を閉ざしたまま、解釈を固定させたままでは、自分らしい人生を生きることは叶いません。

月は縁の下の力持ちであり、自ら輝くことができない宿命を持ち、それすら慈悲によって果たされ、私たちが太陽に向かい、いつの日か自らが太陽になる時まで見守ってくれています。

少し前置きが長くなりましたが、私の月に対する想い入れとともに、欠損の月という解釈を誤解せずに語るには、少し言葉が多く必要だと考えた次第です。

1.非現実さとノスタルジー

私たちが地上に立っているとして、月は水面の下の世界であり、私たちの無意識・深層心理の領域をです。

ということは、月の意識で物事を判断することは、現実と乖離(かいり)を起こしてしまう恐れがあるということになりますね。

” アダルトチルドレン ” という言葉は、大人になり切れていない大人という意味ですが、思考や感情というよりも、意識が7歳までの世界観に縛られ、自立できないという苦しい状態を指します。

それには家庭環境も大いに関係しますし、親の在り方に相当な問題がある場合がほとんど。

私自身も恐怖心やトラウマを長く抱え、大人になっても、常に不安と虚しさに引っ張られ、目の前の経験を味わうことを放棄せざるを得なかった時期がありました。

それはなぜかと言いますと、幼少期に ” 信念化した解釈 ” が心に正義のようにそびえ立ち、その正義が制約・制限となり、あらゆる可能性や選択肢を捨てさせるからです。

マドモアゼル愛さんは、次のように人生における問題について語られています。

  • 月は7歳頃までの私たちが眺めた世界の印象で、最初の世界観は月によって作られます。7歳未満と言えばまだ子供ですので、それが見た外界の印象は、単純で幼稚で物語性に富み、現実離れしています。
  • 幼少期の思い出は月を通して眺めているので、無力でありながら感受性が豊かだった、受け身の思い出なのです。
  • 月が作った最初の外界のイメージは、完全に受け身です。どんな理不尽もどんな逆境も、ただ黙ってそれを見つめているよりほかなかった子供時代の思いが、月の郷愁であり、思い出からくる印象の残酷さでもあります。

(新月に寄せて)最終回 惑星の理解「月」 より 引用

子どもゆえに、私たちは愛されて来ましたが、その一方で、植え付けられる意識や価値観があることも確か。

ノスタルジーや想い出に浸ること、過去の記憶と感情の回想は、私たちの意識を後ろ側に引っ張ります。

厳密に言えば、過去があって、その直線上に現在があり、この先に未来があるというような概念は、私たちの思い込みです。

それなのにも関わらず、私たちは今を過去にすり替えてしまい、現実から目を背け、非現実的・幻想の世界に逃げ込もうとします。

ということは、過去も現在も、可能性・選択の結果としての未来も、同時に存在していることになりますね。

ですから月の意識に留まっている限り、私たちはいつまで経っても、子どものまま。

このカラクリに氣がつかず、無意識の衝動に身を委ね続ける限り、意識が母胎の中に還ろうとする性質を許してしまうということです。

しかし刻々と私たちの寿命という砂時計は、砂を落とし続けます。

確かに、子ども心という純粋さを保ち続けることは大切です。

ただそれは現実を、幼少期に持っていた、受動的な解釈で見ることとは違うはず。

それこそ非現実的に、叶わない自己実現を追い求め、鏡の中の自分に人生を生きろ、と言っているようなものなのですから。

2.月には前へ進むエネルギーが無い

月の意識・世界は、深く深く広がりを見せる領域で、そこに現実を動かすエネルギーはありません。

なぜなら受動性や静止性を表す母性としての月は、一貫して見守る役割を担っているからです。

いつでも家に帰って来ることを待ってくれているような、安心と慈しみ。

その安心感が、私たちにとってはいつまでも心の拠り処であるように感じられます。
しかし、今はもう還ることができない、理想郷のような場所なんですね。

私たちは生まれ出て、ある程度経ってから、自分で世界を解釈できることに氣がつき、押しつけられることを嫌がるはず。

それが自我意識であり、個性であり、人間性ですね。

マドモアゼル愛さんの言葉をお借りしましょう。

  • 人は他に目を向けるものが何もないとき、いつでもこのスタート地点の印象に戻ることができますし、また、戻ってしまいます。
  • 他になにもないとは、月以外の衝動によって物事を意識することのない状況で、通常は太陽のことを言います。
  • 太陽は自分のしっかりした意識ですから、完全受け身だった月の印象とは違い、目的もあるしそこには目的に向かうエネルギーもあります。
  • 太陽の意識にしたがって行ったことは、やがて成功していき、私たちの自信につながりますが、月のイメージに従った行動はそのほとんどが失敗に終わります。
  • 月は現実にエネルギーを注ぐ星ではなく、受け身の幻影なのですが、人は生まれて来た以上、なんらかの方法で外界を理解する必要があります。

(新月に寄せて)最終回 惑星の理解「月」 より 引用

心理学の分野で、「 子は親のテープレコーダー 」と言われることがあるそうです。

私たちが持つ月の意識の中には、必ず譲り受けた価値観や判断基準などがあります。

それらは内面に根付き、私たちの解釈の舵取りをして、選択の自由を偏らせてしまうんですね。

日常的に選ぶ些細な事柄には、私たちの無意識が作用し、行動はパターン化します。

能動的に思考し、ある種いつもと違う行動を取ることをしなければ、太陽の意識は育たないということ。

コンフォートゾーンから出るのは、誰でも負荷がかかるものです。

しかし未知の領域には、素晴らしい発見や選択肢、可能性があるはずなのに、私たちは居心地の良い空間を選び、変わらない日常に不満を抱くんですね。

それこそ、太陽の意識、成長・進化しようとする内的な解釈が育っていない証拠と言えます。

私自身も、非常に腰が重い性分。

占星術は、12星座それぞれを3つのタイプ(活動宮・固定宮・柔軟宮)に分けます。

私のホロスコープでは、活動宮の星座に天体が1つしかなく、なんと6天体も固定宮に位置しています。

また太陽星座が蠍座で、月星座が牡牛座で、どちらも固定宮なので、余計に動かないんですね。

そして蠍座と牡牛座は、正反対に位置する星座で、私は生まれながらに、太陽と月が牽制し合っている関係性を持っています。

この辺りの解釈はどうとでもできるのですが、私が心底確信していることは、太陽と月における ” 葛藤 ” が、私の人生に圧をかけるということ。

私がもし月星座が欠損を表すことを知らなかったなら、私はいつまでも牡牛座が象徴する ” 所有 ” に意識を向け続けていたでしょう。

しかし私のホロスコープ上、または人生では、私は幼い頃の意識では、多くを得ることができないのです。

だからこそ、マドモアゼル愛さんが仰るように、誰もが成長したなら、太陽に向かっていくべきであり、実のところ、月はそれを望んでいるはず。

もし実家の居心地の良さが沼化していることに氣がつかなければ、自分で人生を切り拓く喜びをみすみす逃していることになります。

ある時突然、太陽の意識に目覚める!なんてことは起こりません。

スピリチュアルの分野でも、覚醒や悟りについての話題が事欠きませんが、実際のところ、すべては積み重ねでしかなく、実感と納得の伴わないものはすべて、幻想に過ぎないのです。

3.生き甲斐は、太陽 = 自発性からしか生まれない

私たちの人生、もっと言えば生命は、” 与えられる ” とう前提から始まっています。

その事実に氣がつき、与えられていること・愛されていること・満たされていることに感謝することは大変重要です。

ただこの氣づきの裏には、自分自身も何かしらの貢献ができるよう、自分が持つあらゆる資源を使っていくための ” 自立 ” と ” 自律 ” を促しています。

自立とは、月の時代での価値観や在り方を、未知の経験によって考えたり、時には覆し、自分の器量によって世界を見出していくこと。

また自律とは、依存や受動的な姿勢を戒め、自分自身にあらゆる可能性と機会を与える、創造的な生き方を目指すこと。

私たちが子どもだった頃、子どもとして誰もが持っている ” 純粋さ ” によって、私たちは与えられる存在であることが許されていました。

しかし大人になり、あらゆる経験を重ねても、赤ちゃん返りをするような生き方は大変無責任と言えるでしょう。

純粋さと甘え、自信と自惚れが似通っているようで、本質・動機・在り方は異なります。

それにも関わらず、私たちは月の引力・原始回帰という無意識によって、幼少期の世界を繰り返そうとするんですね。

その繰り返しの中で、私たちはある程度の安心感を得られますが、どこか虚しさを感じてしまいます。

その理由こそが、自分自身から掘り出し、自らが輝いていないという自覚と意識。

マドモアゼル愛さんの言葉を借りてみましょう。

  • 月の世界観とは、まだ子供だった私たちが、外界に出た際に必要とする、外の世界の理解を急いで作る時代にできたものなのです。
  • 7歳までの子供が作った世界観は幼稚で矛盾に満ち、完全に受け身です。
  • しかし、その印象を私たちは以降もずっと持ち続け、常に外界に触れる際には、それを第一フィルターとして機能させ続けるのです。
  • なので、月を理解しないと、私たちは、7歳の子供の世界観から抜けることができず、受け身で防衛的にしかこの世に接することができなくなります。

(新月に寄せて)最終回 惑星の理解「月」 より 引用

” ブリッ子 ” な女性は男性にはモテますが、女性には煙たがられるのは、もしかしたら自分と相手が持つ影が反射し合い、反発が生まれるからではないでしょうか?

もちろん嫌がる男性もいますし、癒される女性もいるでしょう。

ただ本質的な観点から言えば、然るべき時に然るべき姿ではない人や態度を見た時、私たちは一往に拒否反応や嫌悪感を感じてしまうのは当たり前のこと。

月は女性性を表すと言われますが、これは決して女性であることを意味するわけではありません。

誰もが女性の母胎から生まれるわけですが、” 性 ” とう性質は、性別に関わらず備わっている機能や設定のようなもの。

私たちは世界を解釈するために、安全な母性の世界から人生を始めましたが、世界には母性の世界よりも遥かに広く、高い空が広がっています。

つまるところ、私たちは月の意識・世界が心地よいという経験をベースにし、自力で生きていくことが怖いという単純な話なのですね。

それを私たちは様々な理屈を持って複雑にし、自分自身の解釈の歪みを正当化します。

なぜなら自分の人生の基盤である月の意識は、いつまでも心地良いものであるべきで、守るべきだと反射的に考えてしまうからに他なりません。

4.シーソーとブランコが同時に動く人生というゲーム

シーソーもブランコも、” 片方に重心や方向がかかっている ” という面では、同じような遊戯だと考えられます。

しかしシーソーは、相手が居なければ、また相手が体重のかけ方を調整してくれなければ、その醍醐味は味わえません。

またブランコは、自分の足で地を蹴り上げなければ、振り子の原理は働きませんし、その後も振り幅を自分で大きくしなければ、空を飛ぶような感覚は得られませんよね。

なぜこんな例え話をしたかと言いますと、シーソーの意識が月の受動的な意識を表すということをお伝えしたかったからです。

シーソーを遊ぶ2人は、お互いに相手ありきの遊びですね。

私たちが幼かった頃は、親は常にシーソーに付き合うように、純粋無垢な私たちを育ててくれました。
それはそれは、至れり尽くせりの、享受が許される時代だったのです。

反対に、ブランコは楽しい遊びですが、限りなく孤独な遊び。

しかも自分自身が振り子を使って動くことがなければ、ただの2本の鎖に居たが乗っているだけのモニュメントでしかありません。

自分自身で振り子を動かし続ける、それが太陽の意識であり、自分自身の輝きを獲得していく生き方なんですね。

私自身、自分の輝きは何だろう?と随分彷徨って来ました。

人生で起こるあらゆることに意味を見出そうとしても、常に虚しさや無価値観が伴います。

今回の月星座の考察で、その答えがより明確になったと感じています。

その答えとは、やはり外の世界に出て、自分自身を発見し、絶えず自分自身と対話することで、本当は変化し続けることは喜びなんだ、ということ。

私は臆病者でしたし、人目を氣にしてばかりで、そのくせ自分のことはひた隠しにするような、ある種卑怯な生き方をして来ました。

なぜ私がそのような生き方をするようになったかは、私個人が培ったあらゆる経験が関係しますが、根本的に、月の世界から離れられなかった、ということが根底にあります。

私は自らの幼少期の体験を回想することで、記憶と感情を癒すことの重要性を痛いほど感じています。

私の幼少期は、父の脅威と母の貧弱性をまざまざと見せつけられ、母の存在と母性に重心が傾いていました。

それは幼少期に限ったことではなく、自我形成における核に、母のために動く、母の教えや躾を守るということを自分に課して来たのです。

今回は私の過去についてはこれ以上言及しませんが、それだけ月の意識とは根深く、自己実現を阻む大きな要因になるということをシェアさせて頂きました。

そこでマドモアゼル愛さんの言葉をお借りしますね。

  • 月が私たちにもたらす意識は無意識として絶対的ですが、太陽の意識は個や自分自身を強く意識したものとなります。
  • 本当に好きなことや本当のやりがいは、ですから太陽意識からしか訪れません。
  • しかし、月の強固な習慣性は、あたかも月のイメージが自分の個性や真の人間性であるかのように振る舞うのです。
  • 太陽意識は強烈なので自身の個性といずれはつながりますが、月の個性もあたかも本当の自分のように感じられるように働きます。
  • 月は無意識化しやすいので、その影響は太陽よりも強くはなりませんが、潜在的に働き続けます。
  • 月のサインが示すものは、本当の自分の姿ではなく、自分が自分に抱いたイメージでしかないのですが、そのイメージは強固に習慣化されているため、自分は月のような人間であると感じるようになっていきます。
  • とくに太陽意識の獲得が遅れていると、成長した後も月が自分のイメージであると思いがちです。
  • 太陽意識が隠れている時とは、失意の時や、未来をあきらめた時であったり、親の影響、とくに母の磁力から抜け出せなくなっている時などです。
    その際には、月のイメージは拡大視され、私たちは7歳以下の子供時代と同じ意識で外界と自分を眺めるしかなくなります。

(新月に寄せて)最終回 惑星の理解「月」 より 引用

私はマドモアゼル愛さんの解釈に賛同してもしきれません。

もっとも私はマドモアゼル愛さんのように、長年占星術を追究しているわけではないので、あまりおこがましいことは言えません。

ただ言えることは、曖昧で言葉にならなかった観念を、マドモアゼル愛さんが代弁してくれたということです。

私にとっては大変な救いの氣づきであり、また叱咤激励にもなりました。

魅力的なものには、魅力さなりの理由があり、その奥には、魅力が働くことの理(ことわり)があるものです。

私の中に備わる、不変的な月の存在と役割とは、無言で、まるで蟻地獄のように、いつ太陽に目覚めるかを試すように、幻想を見せ続ける強烈でありながら、魅力的なはたらきなんですね。

5.月の意識から出ることを決めるためには

占星術では、実際の天体の配置と、概念上の天体のエネルギーを重ね、現実世界と自分の内的世界を解釈します。

その上で、私たちが占星術を活用し、人生を切り開くための大きな指針として、月星座の反対に位置する星座のエネルギーを使うことが挙げられます。

私の場合、太陽が蠍座で、月が牡牛座ですので大変分かりやすいのですが、牡牛座に引っ張られ続けるかぎりは、太陽と月の均衡は、不満と葛藤の方向に流れるはずなんですね。

しかし私が意識を太陽に向け、蠍座のエネルギーや在り方に対する理解を深めていくことで、月星座の力が無効化されることになります。

私はこんな簡単なことに氣がつくまで、随分長い間迷って来ました。

なぜならそれこそが、人生、世界には無駄がなく、最善のタイミングで、私の宿命に設定された目醒めが起こることが決められていたのかもしれません。

あくまで月の役割として、私たちが本来の人生を生きるために、幻想への誘いが無意識に起こるのだって、決して月が悪いわけではないんです。

ただその月の役回りの本質に氣がつかず、太陽になることが怖いと思い続ける限り、私たちは愛する月の世界を創ってくれた親に対しても、不甲斐ない自分に対しても、憤りを感じるでしょう。

それでは、マドモアゼル愛さんの言葉をお借りしましょう。

  • しかし大事なことは、月のイメージは現実ではない、、、という点です。
    そのため、月のイメージを自分の中で追求すると、必ずうまく行かなくなります。
  • 何事も失敗しますし、やがてはどうにもならなくなり、現実生活を送れないまでに混乱します。これがルナティックの正体です。
  • 現実でない自分を実際の自分であると思いたいのが月ですが、それは嘘の自分ですので、それを追いかけるとどうにもならないストレスと消耗に追われてしまうわけです。
  • このことを知っていれば、月に惑わされることなく自身の道を見つけることができます。
    少なくとも楽になります。間違った自分のイメージで振り回されることが無くなるからです。
  • 月はどうにもならない時だけ戻る一時的なラストリゾートとしては良いのですが、月のリゾートに何泊もした場合は、ルナティックの世界に足を運び入れることになるでしょう。
  • 人生が終えようとしている時、月のリゾートは必要な場合もあります。
  • 人が死にゆくとき、最後の最後にすべてが幻であるとの思いを乗せてくれる船が月で、その際には確かに月は重要な役割を果たします。
  • この世が幻想の世界であり、うつし世であるとの認識は、月の幻想性を理解した上では重要な働きとなるからです。

(新月に寄せて)最終回 惑星の理解「月」 より 引用

大変意味・意義深い内容ですよね。

月は自らの世界に、子を貶(おとし)めるような役割を果たすことで、設定としての現実に氣がつかせようとしているのですから。

  • 人は生れ出た時、どんな幻想でもよいので、この世にいるという認識のきっかけが必要になります。
    また戻る際にも、この世は確かに幻想であったとの確信を、月を通して知ることができるのです。
  • 月はその意味で、あの世とこの世を結ぶわたり船としての働きを持ちます。月で生まれ、月で帰ることになる私たち。
    考えてみれば、月に限らず太陽を除くすべての惑星は太陽の光で輝くうつし世の星たちです。
  • その性格をもっとも大きく表出させている月。月はこの世が幻想であることを教える星であり、そのことを気づかせるために常に働き続けます
  • 月を理解することは人生の意味を悟ることに直結する道です。
    すべてが幻であるなら生まれてくる際に幻想からスタートすることは、何もおかしなことではありません。

(新月に寄せて)最終回 惑星の理解「月」 より 引用

これらの文章に、私たちの人生の儚さと、幻想の人生を懸命に生きる生命の美しさが表現されていますね。

私は何度もマドモアゼル愛さんの、月に関するYoutube動画を視聴させて頂き、その度にしみじみと生きていることの不可思議さと、愉快さを感じてしまいます。

少し別の話になりますが、私は ” ヌーソロジー ” に出会い、これまで出会って来た思想や観念がまとまり、論理と情動の統合・調和の意識が芽生え始めました。

それは現実を幻想としての世界、靈的世界の影として捉え、実体ではない世界を生きていることを肯定する画期的な考え方です。

科学や靈、どちらかを、またはどちらも否定するどころか、相反するからこそ統合・調和が必要だという氣づきになりました。

そういった観点からも、月の理解とは、幻想・影の現実は、幻想・影として捉えなければ辻褄が合わないはずなんです。

今回の欠損の月という解釈は、本当の世界の見方をするために、従来のフィルターがかった意識を壊すために、大変な貢献をしてくれました。

あなたは影を光だと言っている自分を、今どのように感じられるでしょうか?

世の中は本当に謎だらけ、不可解なことだらけです。

知らなくていいこともあるといいますが、私たちは自分の内面については、誰よりも知る必要があります。

月はそのことを隠す役回りを引き受け、天使的な顔を向け続け、悪魔的な顔は常に見えないように働いているように思えてなりません。

物質としての天体は、このような占星術的なことは語りませんが、実際そのようにしか解釈できない働きをしているのが、靈の本質の影としての物資・物体の役割です。

あなたも占星術が面白く思えて来たでしょうか?

今回は月や月星座について、長々と語らせて頂きました。

しかしまだまだ語りたいことがありますので、番外編で、月の本来の役割について解説させて頂きたいと思います。

肯定することで、否定の否定が起こり、人生は拓ける

ちょっと妙な表現をしますが、肯定をするという意識の働きを動作に表すと、ひっくり返したものをまた元に戻すという行為と表現することができます。

肯定することイコール、認めることなのですが、実際肯定するためには、否定する経験も必要になることは必至。

影が光の存在を支えているように、月は太陽の輝きを支えているわけですが、それは単に相対的な関係性や、直線的な成長や変化ではありません。

月は思い込みや価値観をループさせる、影の作用を絶えず呼び起こします。

私たちが自らを輝かせるためには、必ず、輝けない大元の原因を究明する必要があります。

それは幼い頃の解釈が信念化し、今でもその解釈で世界を見つめることで、理想と現実のギャップの葛藤を抱かせる ” 大いなる目醒め ” のための罠のために仕組まれた月の幻想。

今回は3回に渡り、マドモアゼル愛さんの欠損の月からの氣づきをシェアさせて頂きました。

占星術に興味が無い、それほど詳しくないとしても、幻想と不変の罠を与える月の作用に関しては、考えさせられるのではないかと思います。

引用させて頂いた文章量も多いのですが、全体的に大変長くなりましたが、最後まで読んで頂きまして、本当に有難うございます。

あなたの人生の氣づきになれば幸いです。

またマドモアゼル愛さんの月に関する記事を書く予定ですので、是非そちらも楽しみにしてくださいね。
それでは、月の理解の総まとめでお会いしましょう!

【月星座】マドモアゼル愛さんの欠損の月の解釈|総まとめ【占星術】
マドモアゼル愛さんの ” 欠損としての月 ” の解釈をこれまで3回に渡ってシェアさせて頂きました。 しかしこれまでの内容だけでは、マドモアゼル愛さんの解釈、また占星術が与えてくれる解釈に届きそうもないと考え、今回総まとめの記事を書かせ...

コメント

  1. えるも より:

    失礼します
    月星座についてとても分かりやすく解説されていてまた一つ理解を進めることができ嬉しく思っています
    アダルトチルドレンの記述できになったのは本来「親がアルコール依存症の家庭で育って成人した人(かつて機能不全家庭で育つ子供だった大人)」という意味だと思いますのでコメントさせていただきました
    ACの回復に月星座から抜けて太陽星座で生きる意識を持つことは大きな助けになると希望が持てる話で読んでいて楽しくなります

    失礼しましたm(_ _)m

    • 一ノ瀬 ユイ一ノ瀬 ユイ より:

      えるもさん、コメントをありがとうございます!

      最近多くの方がマドモアゼル愛さんの月星座の解釈に興味を持たれているようです^^

      >アダルトチルドレンの記述について

      そうですね、本来は【機能不全の家族や両親の元で育った】ことが原因で、
      社会活動や対人関係に支障が出やすくなります。

      えるもさんの仰る通りで、
      説明が足りなかったな、と考えさせていただきました。
      ありがとうございます!

      月星座、7歳の頃までの世界観で生きることが
      盲目的な生き方や、太陽の意識を獲得できないアダルトチルドレン的な生き方である、

      という意味合いを込めました。

      多重構造になっている月の働きのカラクリが解り、
      これまでの人生に納得ができると、
      えるもさんが仰る通り、希望を持つことができますね!

      コメントをいただき、ありがとうございます!
      とても嬉しいです^^

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